学校の週5日制がスタートする頃、ハンディキャップのある児童・生徒は、土曜日という日が、"家に引きこもる1日"になる可能性がとても高く、保護者は不満を学校に何度となくぶつけていました。
現場の先生も、もっともな保護者の言い分を理解していました。しかし、国の方針と保護者との間に立って、どうすることもできず、頭を抱えていました。
当時、副理事長の長田は、浜松養護学校(現・浜松特別支援学校)のPTA会長を務めていました。
長田は、こうした状況を、より多くの人と触れあい、知的にハンディキャップのある我が子を含めた、多くの子どもたちを理解してもらう機会を新しく作り上げる、絶好の機会だと考えました。この発想が、当NPO法人設立のきっかけになりました。
そして、活動を進めるうちに、ハンディキャップのある人たちだけでなく、地域に埋もれた少数派は、多数優先となりがちな行政サービスを"平等に受けている"とは言いがたい現実が、様々な分野で見えてきました。また、知識不足から、差別や偏見に苦しんでいる人たちの姿も。
しかし、1つの団体でできることには限界があります。そこで当法人は、行政は勿論、個人や他の団体、企業にも声掛けをし、いわゆる"協働"によってほとんどの事業をこなしてきました。
そして、始め、ハンディキャップのある人たちの余暇支援のために立ち上がった当法人は、現在、設立当時の事業を継続しながら、それを協働事業に発展させ、その成果を他の市民団体に惜しみなく伝授することを念頭に活動しています。
少数派の人たちの声に耳を傾け、多くの企業・行政機関・個人と協働することこそ、当NPO法人の理念だと感じています。そして、首都圏に人口が集中している現在、地元に誇りを持ち、地元に暮らす思いを持った中高生の人材育成に取り組む改革を、実行していきたいと思います。
さらに、県境を越えた地方(例えば、東日本大震災の被災地など)とのつながりを強め、打倒首都圏!となるようなアクションを展開していきたいと感じています。